自分がこうなりたいと思う人がいる集団を選べばいい by 為末大
今回は個人が頂点を目指し競技力を向上させる一点に絞った場合、どのような集団を選ぶべきか、また集団の中でどう振舞うべきなのかについて書いていきたい。
さて、どのような集団を選べばいいかというのは基本的には自分がこうなりたいと思う人がいる集団を選べばいい。人は一緒にいる人に影響され、次第に似てくるからだ。
企業を選ぶときの「いっしょに働きたい人がいるか」「尊敬できる人がいるか」に近いと思った。
競技者にとって集団選びで何より気にしなければならないのは視座の高低だ。どれだけいい人で、どれだけ人格者でも、視座が低ければ頂点には行けない。むしろ視座が低い人格者は、低成長状態でも人を安心させて居場所を作ってしまうので厄介だ。
面白いことに世界一を目指す集団と日本一を目指す集団では、結果は大きく違っても、少なくとも主観的な努力度(辛さ)は双方さほど変わらないことがある。視座の高さが違えば戦略から戦術まで、戦場選びですら違い、それによって結果が変わる。
視座が高い集団は当たり前のレベルが高い。目標が勇ましかったり、ビジョンが美しいとつい人は惹かれてしまうが、目標の高さよりもむしろ言葉にもされていない当たり前のレベルの方がよほど競技力に影響していたと感じている。例えば足腰ではなく大腿四頭筋、ハムストリングス、中臀筋など分けて会話するのが当たり前の集団では、これらの役割を分けて説明しなければ会話についていけない。結果これらの筋の動きや役割を理解していく。また世界一になるのが前提の集団では、いちいち国単位の話が出ないので気がつけばこれにも馴染んでくる。このように視座が高い集団では何気ない日常や普通はこんなもんだよねという基準のレベルが高い。この力は逆にも働くので恐ろしい。
言葉の解像度が思考力に直結してくるってことかな。ドキドキしながら読んだ。 集団は大体共有された口癖を持っているので、それを観察すれば当たり前のレベルが少しは見える。強い集団は結果だけを見据えているために物事をシンプルにして本質を掴もうとしているので、その気になれば小学生でもわかる言語に変えられる。結果を出すには努力を絞る必要がありロジックはシンプルではなければらないからだ。だから口癖が本質的で、質問も端的であることが多い。反対に強くないチームは、ふわっとした言語が多く、定義が難しい言葉をよく使っている。わかりやすく言えば流行り言葉が多い。弱いチームは総じて”ごっこ”の空気が漂う。ごっことはそのように見せてあるだけで、そうではない状態のことを指す。
どの集団に行っても愚痴ばかり言う人間は、集団に期待をしすぎている。先のロジックで、集団に自分を変えてもらいたいと思っている人間を、質の高い集団は求めていない。
最後になるが、集団は危険でもある。特に群れは居心地がよく、人間を安心させるが一方で馴れ合いも生み出す。私は弱い人間だったので、集団にいるとつい安心して変化できなくなってしまうところがあったので、集団に属しながらも完全に集団と一体になりきらないように注意をしていた。群れは魅力的だが、群れは人を弱くする。寂しい人間だと言われたこともあるが、私のような性格にはこのような基本姿勢は競技力向上には一定の効果があったと思っている。